仕事を早く終わらせ、久々にレイ○サイドWOの合奏へ。
セントアンソニーヴァリエーション(唯一M8出版で全国吹奏楽コンクールに進める曲)と
ヴィヴァ・ムシカ!(リードのさわやかポップスシンフォニー定番)の2曲だった。


うーん、時間がたってもあまり進歩がない。。。
ちょっとここで愚痴。(消極的なブログはあまりええもんじゃないとは知りつつ。。)
ここのバンドの問題点は、皆、技術がそこそこあるのに(音程も悪くないバンドだ)、全く音楽になっていないことだ。逆のほうがいいのに。
そもそもの問題は音程とかハーモニーに対してウエイトを置きすぎていること。


音楽は、その曲によって、目的というか伝えたい内容、伝える手段とかが異なる。
また同じ1曲のなかでも、それは変化する。
だから、音程が重要な曲もあれば、重要でない曲もある。
音楽を作る要素にはいろいろあるけど(リズム・音程・音質・その他様々)、曲によってその優先順位は全く異なるわけやん。
コラールのようにピッチが優先順位高い曲もあれば、舞曲のように、リズム感というか、強弱とかアーティキュレーションとか、そんなんが重要な曲もある。(というか、世の中の多くの曲は、後者に近いと思う。)


だから、まず、とりあえずハーモニー作って、というのではなく、その曲の目的に応じた処方をせんといかんのじゃないかと。
ってか、芸術たりうるためにどうあるべきか、もっと考えたいよなあ。
単なる音あわせゲームじゃないのだから。


例えば、セントアンソニーなんかは、コラールも入ってハーモニーが重要になる部分も多いけど、実はあの曲の特徴はバリエーションであって、あのリズミカルな部分をどう聴かすか、また、ラストのマエストーソな感じのとこも、音程より、まず、どんなストーリーで劇的に盛り上げるかという点を考えて、それを実現できるような練習としての合奏をすべきではないかと思う。


ってか、音程やハーモニーを重視することで生じている、それ以前の深刻な問題。
皆、一つ一つの音を出す際、音程気にしてビビッていることだ。探り探りなのでタイミングも遅い。
(この、タイミングの遅さが、指揮者との一体感を失わせている。というのも勿体無い現象。)
チューニングの時間は長いけど、あの時間中にだしている皆の音はチューニング専用の音・息遣いであって、音楽に使える音ではないし意味が無いと思うけどな。


しかし、指揮者の目指すものがあれなら、実は、文句は言えないのか…、と思ったり。
指揮者が僕の趣味と合わない、というだけの問題なのかなあ。


なんせ、いろいろ主張したくて、3rdながら、けっこう極端に吹いてみたりしてる。