アプリケーションソフトウェアには、動作のための最低条件として、
CPUペン4以上とか、メモリ128以上とか、いろんなのがあるけど、
芸術もそんな感じで、鑑賞のための条件として、色んなものがあると思う。
文学なら、その記述されている言語が理解できなくてはならないし、
絵画については、当然ながら、そこそこの視力があることが前提となる。
音楽も、聴力がそこそこないと、まずインプットできないってのがあるけど、
その次に、案外重要なのが、「記憶」と「記憶容量」だと思う。
音楽は結構、聴く人に対して一定の記憶力を期待している。
そもそも、記憶できる量が0だとしたら、音楽は流れているように聴こえない。
点が線にならないわけで。(ってか、そんなことの前に、記憶量0っていう
胡散臭い状態について、色々述べろよってところだけど、これはまた今度。
音楽に限ったことではないし…。)
記憶量が0より多くて、始めて、音楽は流れてるように聴こえる。リズムが
リズムとして聴こえる。記憶は絶対必要なものだ。んで、その記憶量なのだけど、
これも、そこそこ長いものが必要だったりする。例えば、メロディ1フレーズが
15秒なら、それを理解するには15秒分の記憶容量がいる。そんでもって、
曲がAメロ〜Bメロ〜Cメロ〜Aメロと来ているような場合、再現Aメロが
再現たることを理解するには、この1周分の記憶容量は必要になる。
交響曲で、第1楽章のテーマが第4楽章で散りばめられていたとしても、
記憶容量が5分くらいだと、その意味は無いから、もちろん、作者は
それを覚えているくらいの記憶力は期待している。
(仕事をはじめないといけないっぽいので、中途半端だけど、これで一旦記述終了。)


とか、そんなこと敢えて言う必要ないし、別に、こんなん、音楽だけじゃなくて、
文学でもなんでも、いろんな芸術についても言えることなんだけど、
直感的な感じに思える音楽も、記憶容量を前提としているとか、僕の中では
意外な気がしてて、たまにボーっと妄想する内容の一部を書いてみた。